コロサイ書を考える(第1章)

 聖書からの引用は、口語訳からのもの。田川建三訳、尾山令仁訳の二つの訳は好対照で読み比べている。


*疑似パウロ文書であるコロサイ書であるが、書かれた目的は、非ユダヤ人キリスト信者に対して当時の最新思想を教えるためであるとも言われている。パウロが言いそうだということで新約聖書に取り入れられた訳だから、パウロ思想からは大きく離れててはいないと思われる。1世紀末頃に書かれたと言われている。

1 神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロと兄弟テモテから、
2 コロサイにいる、キリストにある聖徒たち、忠実な兄弟たちへ。わたしたちの父なる神から、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
3 わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神に感謝している。

*コロサイという町は、この書が書かれたときには大洪水でなくっており、安心して疑似書簡が作られたようだ。

4 これは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対していだいているあなたがたの愛とを、耳にしたからである。

*信仰はイエスに対して人間が持つものだというとらえ方。

5 この愛は、あなたがたのために天にたくわえられている望みに基くものであり、その望みについては、あなたがたはすでに、あなたがたのところまで伝えられた福音の真理の言葉によって聞いている。
6 そして、この福音は、世界中いたる所でそうであるように、あなたがたのところでも、これを聞いて神の恵みを知ったとき以来、実を結んで成長しているのである。
7 あなたがたはこの福音を、わたしたちと同じ僕である、愛するエペフラスから学んだのであった。彼はあなたがたのためのキリストの忠実な奉仕者であって、
8 あなたがたが御霊によっていだいている愛を、わたしたちに知らせてくれたのである。
9 そういうわけで、これらの事を耳にして以来、わたしたちも絶えずあなたがたのために祈り求めているのは、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力とをもって、神の御旨を深く知り、
10 主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。
11 更にまた祈るのは、あなたがたが、神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍び、
12 光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、感謝することである。
13 神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。

*神が存在し、信者をイエスの支配下(王国、神の国)へ移したという関係になる。

14 わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。

*御子による贖い=罪の赦しを受けていること、という理解だ。

15 御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。
16 万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。
17 彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。
18 そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。
19 神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、
20 そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。
*キリスト賛歌の引用だと言われている。
神と御子の関係だが、御子=見えない神の形。最初に生まれた御子がすべてを創造した。見える神と見えない神との関係が分からない。御子がまず死んで復活する、最初の人である。神であるのに死ぬことがあるのか、神であるのに復活することがあるのか。それとも、万物の最初に生命をもって存在したと言うことか。神が自分と和解するために御子の死があったということか。


21 あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。
22 しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さったのである。

*神は神と人間を和解させるために御子を死なせたのか。

23 ただし、あなたがたは、ゆるぐことがなく、しっかりと信仰にふみとどまり、すでに聞いている福音の望みから移り行くことのないようにすべきである。この福音は、天の下にあるすべての造られたものに対して宣べ伝えられたものであって、それにこのパウロが奉仕しているのである。
24 今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている。

*イエスの受難だけでは足りなくてパウロが補っているということだ。

25 わたしは、神の言を告げひろめる務を、あなたがたのために神から与えられているが、そのために教会に奉仕する者になっているのである。
26 その言の奥義は、代々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされたのである。
27 神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。
28 わたしたちはこのキリストを宣べ伝え、知恵をつくしてすべての人を訓戒し、また、すべての人を教えている。それは、彼らがキリストにあって全き者として立つようになるためである。
29 わたしはこのために、わたしのうちに力強く働いておられるかたの力により、苦闘しながら努力しているのである。

*神は異邦人のためにイエスをつかわしたということだ。ユダヤ人のためにではないぞというわけか。

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