5千人の供食・翌日の話から考える
 年間第18主日 2015,8,2
ヨハネ福音書6章24節から35節

聖書からの引用は、口語訳からのもの。田川建三訳、尾山令仁訳の二つの訳は好対照で読み比べている。

*5千人の供食が行われた翌日の話である。28節と29節は編集者による付け加えで、福音著者の原文ではないという田川訳の指摘は納得できるので、括弧を加えた。


24 群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知って、それらの小舟に乗り、イエスをたずねてカペナウムに行った。
25 そして、海の向こう岸でイエスに出会ったので言った、「先生、いつ、ここにおいでになったのですか」。
26 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。
27 朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」。

*イエスは、しるし(奇跡)を見てイエスを信じた人たちより、パンを食べて満足した人たちの方を重視している。イエスのおかげで満腹になってありがたがって追いかけてきた人たちに、イエスの教えをありがたがりなさいと言っている。
*イエスのしるし(奇跡)を見て、信用する、信じるような人は、あかんというわけだ。ましてや、しるしを見せてくれとか、見せてくれなければ信じないという人は、さらにダメだというわけだ。

(28 そこで、彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、わたしたちは何をしたらよいでしょうか」。
29 イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。 )

*神からつかわされた者、イエスを信じることが、神のわざを行うことだ、人は神のわざを行うことができるというのは、おかしなことだ。

30 彼らはイエスに言った、「わたしたちが見てあなたを信じるために、どんなしるしを行って下さいますか。どんなことをして下さいますか。

*この彼ら(群衆)は、しるし(奇跡)を要求する人たちである。

31 わたしたちの先祖は荒野でマナを食べました。それは『天よりのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです」。
32 そこでイエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。天からのパンをあなたがたに与えたのは、モーセではない。天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである。
33 神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」。

*『天よりのパンを彼らに与えて食べさせた』のはモーセである。にもかかわらず、パンを与えたのはモーセではないというのは、矛盾だ。田川訳によれば、著者ヨハネは旧約聖書の権威を認めていないという姿勢の表れとのことだ。

34 彼らはイエスに言った、「主よ、そのパンをいつもわたしたちに下さい」。
35 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。

*イエスの言動、ただし、しるし(奇跡)を除いた言動を信じることが 大事だということだ。