ローマ書を考える(第5章)

 聖書からの引用は、口語訳からのもの。田川建三訳、尾山令仁訳の二つの訳は好対照で読み比べている。

6 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。
*第5章のパウロ救済論なるものだが、論理はめちゃめちゃである。キリストは我々のため、神の計画通りに死んでくれたという理屈だね。

8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。
9 わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。
10 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。

*イエスが死んだ、神は愛を示された、我々は義とされた、神と和解した、将来必ず救われる。という理屈だ。今はまだ救われていないが、安心しなさいと言うわけだ。

12 このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。

*12節から人類はなぜ死ぬようになったのかをパウロは説明している。ひとりの人とは、アダムのこと。アダムが罪を犯し、結果人類は死ぬようになったというわけだ。さらに全人類が罪を犯したので全人類は死ぬようになったというわけだ。アダム原罪論+全人類原罪論。

18 このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。
*アダムによる罪、死に対して、イエスの死のおかげで永遠の命が得られるようになったというわけだが、こじつけの極みだ。

20 律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。
21 それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

*律法は罪を増やす、だから恵みも増える、罪に対する恵み、死に対する義、イエスを信じると永遠の命が得られる、とパウロは説明している。
こんな説明でローマの信者が納得したのかな。


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