「旧約聖書には比喩がある(旧約聖書は比喩である)」

 創世記から始まる旧約聖書をどう読むのかと言うことに関しては、パウロのガラテヤ書が参考になる。
 「比喩がある」と言うことと「比喩である」ということは、紙一重の関係である。
紙一重と言うより、ほとんど同じと言うことだ。
 事実(史実)には比喩があるとは言わない。物語には比喩があるとは言える。
創世記にアブラハムの子イサクとイシマエルにまつわる話がある。
事実か物語かということだが、事実であれば、導き出されるのは教訓である。物語であれば比喩である。
 パウロは、ガラテヤ書第4章24節にこう書いている。 
手元にある、いくつかの訳を比較したい。

(尾山訳)現代訳とあるように大胆な意訳が特徴。
ここに比喩がある。ハガルは、シナイ山で与えられた律法を指しており

(新共同訳)定番中の定番。
これには、別の意味が隠されています。すなわち、この二人の女とは二つの契約を表しています。
子を奴隷の身分に産む方は、シナイ山に由来する契約をあらわしていて、ハガルです。

(新改訳)
このことには比喩があります。この女たちは二つの契約です。
一つはシナイ山から出ており、奴隷となる子を産みます。その女はハガルです。

(フランシスコ会訳)
聖書の語るこのことには別の意味が隠されています。
すなわち、この二人の女は二つの契約を指しています。
奴隷としての子を産む方は、シナイ山に由来する契約を指します。
これはハガルです。

(バルバロ訳)ウルガタ訳をベースにしている。
そのことは前兆として語られている。すなわちこのこの女たちは二つの契約である。
一つはシナイの山から出て奴隷を生む。これがハガルである。

(田川訳)原典忠実、直訳に近い訳。
これをアレゴリーとして説明すると、女たちは二つの契約である。
一つはシナイ山からはじまって、従属へと生むものである。ハガルのことである。

(新世界訳)エホバの証人訳。
これらの事は象徴的な劇となっています、この女たちは二つの契約を表しているからです。
一方はシナイ山から出ていて、奴隷となる子どもたちを生み出すもの、すなわちハガルです。

 田川訳の「アレゴリー」と訳されているの辞書で引くと「比喩、暗喩・・」という意味になる。
無理に日本語訳しないほうがよいと判断されたのだろう。
 改竄訳とも言えるエホバ訳(英訳されたものから日本語訳されもの)は、「象徴的な劇」と訳しているところを見ると、事実(史実)ではないというとらえ方をしている。 
 ウルガタ訳をベースにしたバルバロ訳は、「前兆」という訳からは、事実(史実)だというとらえ方をしている。
 それ以外は、比喩、暗喩と言う意味のとらえかたになる。
 パウロは、創世記に載せられている話は事実ではなく、物語であると考えていた。
物語の中からその意味するところをあれこれと考えて比喩、暗喩を見つけ出したと言うことだ。