ガラテヤ書を考える(その2、パウロの主張)
 聖霊降臨の主日
 2015,5,24

 その1は、献金に関して、どう考えるかについて書いた。その2は、パウロの主張について書く。
 引用だが、個性の固まりである尾山令仁訳と田川建三訳から適宜引用する。
尾山訳(現代訳聖書刊行会)は大胆な意訳、田川訳(作品社)は原文直訳と好対照の訳である。
*パウロは神によって選ばれた使徒である。
第1章第1−2節
(田川訳)
1 パウロ、使徒。人からではなく、人によってでもなく。イエス・キリストと彼を死人のうちから甦らせた父なる神による(使徒)
2 および私とともにいるすべての兄弟たち。ガラティアの諸教会へ。
(尾山訳)
1 どんな団体や人からも使徒に任命されたのではなく、イエス・キリストと彼を死人の中から復活させられた、父なる神によって使徒に任命されたパウロと、
2 ここにいるすべてのクリスチャンから、ガラテヤ地方にある諸教会へ。
 「まさしく、自分が教祖であるという宣言である。12使徒のようにイエスから任命された使徒ではない。直接神から任命された使徒であるという宣言である。
*パウロが言うことは神が言うことだ。
第1章(田川訳)
11 ・・私が伝えた福音は人間によるものではない。
12 また私は人間からその福音を受け取ったわけでもなく、教わったわけでもないのだ。イエス・キリストの啓示によるのである。
 「教祖たるもの、これくらいの確信がなければならない。」
*エルサレム教会の指導者たちは、異邦人宣教をパウロに任せたのだ。
第2章(尾山訳)
8 私には、神がイスラエル人以外の人たちに福音を宣べ伝える任務を与えられたことを認めてくれ、
9 特に教会の指導者であるヤコブとペテロとヨハネは、私とバルナバに握手して、私たちの働きを祝福してくれたのである。
 「エルサレム教会の指導者たちと協議して、10節にあるように上納金(献金)を条件に異邦人宣教を専売特許にしてもらったということだ。
じつに生々しい舞台裏を正直に書いている。」
*律法(割礼がその典型例)を守らなくてよいのだ。
第2章(尾山訳)
16 人が罪から救われるのは、律法を守ることによるのではなく、キリスト・イエスを信じさえすればよいということを知って、私たちはキリスト・イエスを信じたのである。
21 ・・もしも律法を守ることによって救われるというのであれば、キリストは犬死にをされたことになってしまう。
*律法は違反するために存在したのだ。
第3章(田川訳)
19 ・・律法は違反のために後から作られたのだ。それは約束されている子孫(=キリスト)が来るまでのものである。・・
27 つまりキリストへといたる洗礼を受けたあなた方はみな、キリストを着たのだ。
28 もはやユダヤ人もギリシャ人もいない。奴隷も自由人もいない。男と女ということもない。何故ならあなた方はみなキリスト・イエスにあって一つだからである。
*旧約聖書には比喩がある(旧約聖書は比喩である)
第4章(尾山訳)
22 創世記にしるされているアブラハムの子イサクとイシマエルの出来事には比喩がある。イシマエルは女奴隷ハガルから生まれ、イサクは自由の女サラから生まれた。
31 信者の皆さん。そういうわけで、私たちは律法に縛られた女奴隷の子どもたちではなく、自由の女の子どもたちである。
 「旧約聖書創世記の有名な話を持ち出して、律法に縛られるなとパウロは言っている。比喩があると言うのと、比喩であるというのは紙一重である。本当は、比喩なのよと言いたいのだ、それをいっちゃあ、お仕舞いなので、言わないのだ。」
*私の教えの核心は「愛を生み出す信仰」だ。
第5章(尾山訳)
6 キリスト・イエスを信じる者たちにとって、割礼を受けたかどうかは問題ではなく、愛を生み出す信仰だけがたいせつである。
14 律法全体は、一言で言えば、「自分を愛するように、自分の隣人を愛しなさい」ということになる。
 「自分の隣人というところをどう考えるのかということが核心だ。パウロは聖人だから、広く全世界、人類を愛せと言っていると読むべきかな。
それともパウロも人間だから自分の隣人だけ愛せと言っているのかな。」