羊と羊飼い、雇い人の話から

2015,4,26 復活節第4主日
ヨハネ福音書10章11節から18節

11 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
12 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。
そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。
13 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。
14 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。
15 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。
そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。
16 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。
彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。
17 父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。
命を捨てるのは、それを再び得るためである。
18 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。
わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。

 良い羊飼いは誰かといえば、もちろんイエスである。雇い人とは誰なのか。
福音著者ヨハネは、いったい誰のことを指しているのだろう。
 イエスが捕らえられた時に、助けようとせずに逃げ出したペテロを筆頭とする12使徒のことだろう。
イエス亡き後、羊たちを守るべき立場の弟子たちのことだろう。
 都合が悪くなると、命が危なくなると、自分の責任を放置して逃げ出してしまった弟子たちのことを指しているのだろう。
 イエスは命を捨てる覚悟があった、そして命を捨てて人々を導かれた。誰のために、羊たちのために。
 羊というのは誰のことか、囲いの中にいる羊、まだ囲いの中にいない他の羊とは、有り体に言えば、全人類のことだ。
福音著者ヨハネに言わせれば、ユダヤ人だけでない、ユダヤ人以外の異邦人すべてだよということだ。 
また、信者だけでない、まだ信者でない人も含めて全部だよということだ。
 私が神父だったら、この部分は、こんな風にお話をするだろう。
「私は神父です、こんな雇い人のような人にはなりません。どうか信者の皆さん安心してください。
羊たちを体を張って守ります。まだ信者でない人々も信者同様に導きます。」