荒野の試練、福音の宣言から
四旬節第1主日 2015,2,22
 マルコ福音書第1節12−15

12 それからすぐに、御霊がイエスを荒野に追いやった。
13 イエスは四十日のあいだ荒野にいて、サタンの試みにあわれた。そして獣もそこにいたが、御使たちはイエスに仕えていた。
14 ヨハネが引き渡された後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、
15 「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めよ、福音において信ぜよ」。

 エリコの郊外に、イエスが修行をされたと伝えられる荒野がある。
 エリコの遺跡から向かって右手の山頂付近がその荒野らしい。


荒野と言うよりは山の上、山頂と言った方が良い場所だ。マルコ福音書には、荒野の場所は書かれていない。


エリコの町からロープウェイにのって観光名所となっている教会・修道院へ行くことができる。
イエスもこのような場所で修行をされたのだろう。
修行が終了した後、ガリラヤに行き宣教活動をされたとある。今が悔い改める時ですよ、いつやるの、今やるのだよ、というわけだ。
口語訳では「福音を信ぜよ」新共同訳では「福音を信じなさい」と訳されている。
イエスの言うことを信じなさいという意味だろうか、イエスが何を言ったかどうかということより、イエスそのものを信じなさいと言う意味だろうか、微妙なところ、曖昧なところなのだ。
「福音」とは、イエスが語った良いしらせ、ということになるのだが、人間的な側面と、神的な側面と、どちらの側面から見るのか、考えるのかということにもかかわってくる。
今ひとつわからないところだ。
 井上洋治神父が書かれた「キリスト教がよくわかる本」PHP出版、この本は実によい本である。
この本の38Pに「神の国と言うのは、神の支配の現実をさしている。言わば神の御手に包み込まれている状態」とあるが、これなら納得である。
39Pに「神さまの御手があなたたちの心を今や包みこんでくださろうとしているのだ。
しっかりと神様の方に心を向け直してこの御手を受け入れ、本当の喜びー福音というのは、喜びをもたらす善い知らせという意味ですー
に生きなさい、イエスはそう人々に語りかけたのだと思います。」
井上神父のいうことは、そのとおりだと実感できる。