受胎告知について
待降節第4主日
201,12,21
ルカ福音書1章26−38

26 六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の乙女のもとにきた
27 この乙女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。
28 御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、幸あれ、主があなたと共におられます」。
29 この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。
30 すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神のもとで恵みをいみいだしている。
31 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。
32 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、
33 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。
34 そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ男をしらないのに」。
35 御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。
36 あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。
37 神には、なんでもできないことはありません」。
38 そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。
 受胎告知は、マタイ福音書とルカ福音書に出てくる。中国の劉邦は龍の子であるとか、太閤秀吉は日輪の子であるとか、これらは自称であるが、英雄は人の子であってはならないとういことで作り上げられた伝説である。 
ダビデの王座を与える、ヤコブの家(ユダヤ民族、ユダヤ国家)の王支配、という表現は、ユダヤ教のメシア待望の表現である。
イエスの父であるヨセフは、ダビデ王の子孫ということになっているから、処女受胎の話をつくらなくても良かったと思われるが、それだけでは不十分と言うことだろう。
 聖霊による処女受胎という話であるなら、父ヨセフの系図をながながと書いて、わざわざダビデ王の子孫であることを書かなくてもよいようなものだが。
 父は偉大な王の子孫であり、母は神の子を神の力で産んだということで、いわゆる箔をつけたということだ。 
故に、神の子イエスを産むような母は当然無原罪であるはずだということになったわけだ。父は無原罪ではないのが、まか不思議である。まか不思議と言うより不平等な話だ。
 イエスが活躍を始めたのが30歳ぐらいの時であると言われており、その時には父ヨセフはすでに亡くなっていたので、存在感は母よりなかったのだろう。