狭い戸口からはいれ
 ルカ福音書13・22−30
 カトリック年間第21主日C年
 2013,8,25

 よく似た言葉が、マタイ福音書7章13−14、21−23、にイエスの言葉として載せられているが、文の趣旨は似ているが、言葉遣いは異なり、話の前後関係も異なる。
ルカはルカ好みの言い方で、伝えられてきた伝承を物語的に書いたのだろう。
 この部分、マタイはきわめて簡潔、要領を得た書き方をしているが、ルカはぐだぐだと書いている。
ルカ福音書の特徴は、人々に対してのイエスの説教は、未信者、これから信者になるべき人に対する言葉として書かれているのにこれではねえ。
 マタイは「滅びにいたる門は広いが、生命にいたる門は狭い。道は細く、見いだす者は少ない」と書いているのに対して、ルカは「狭い戸口から入れ、入ろうとしても入れない人が多い」と書いている。微妙に異なるが、両者とも本音は同じだ。
 マタイの本音は、「イエスのことを主よ主よと言う者がすべて天の国に入るわけでない。神の意志を行う者だけが天の国に入る」であり、
ルカの本音は、「イエスと一緒に飲み食いしたとか、教えを受けたというだけでは、救われないよ」である。
 有り体に言えば、信者になっただけではだめですよ、信者としての実践をしなくちゃだめですよ、というわけだ。
 どの宗教団体、社会団体、運動団体、政治団体などでも言えることだが、団体に加入して会費を払うだけでよいと言われたので加入したら、加入して会費を払うだけではだめよ、実践もしなければと言われるようなものだ。
 信者、会員、党員になって金を払うだけではダメよというわけだ。うーん、納得できるかな?