帝国の税金と神殿税の逸話から
年間第29主日 2014,10,19
 (マタイ22章15−22)

15 そのときパリサイ人たちがき行って、どうかしてイエスを言葉のわなにかけようと、相談をした。
16 そして、彼らの弟子を、ヘロデ派と共に、イエスのもとにつかわして言わせた、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたであって、真実な仕方で神の道を教え、また、人に分け隔てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています。
17 それで、あなたはどう思われますか、答えてください。カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」。
18 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「偽善者たちよ、なぜわたしをためそうとするのか。
19 税に納める貨幣を見せなさい」。彼らはデナリ貨幣一つを持ってきた。
20 そこでイエスは言われた、「これは、だれの肖像、だれの記号か」。
21 彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。
22 彼らはこれを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。

 今日の説教で、神父さんはカトリックの場合、献金は収入の3%だが、プロテスタントの場合は、10%ですと言われた。
いわゆる10分の一献金のことをさしているのだが、プロテスタント教会にもいろいろあって、十分の一献金の教会もあればそうでない教会もある。
十分の一献金の問題は従来から指摘されているところであるのでふれない。
 献金に関しては、維持管理に必要な予算を明確にして、必要な金額を信者に収入別にお願いするというのが良いと考えている。
3%といっても、年収150万円(生活保護程度)の人の4万5千円と、年収1000万円の人の30万円とでは、生活に占める比重は大違いである。
税金も累進課税になっているのは、そのためである。ゆえに消費税なるものは悪法の極みなのだ。
 さて、上記の逸話は、マルコ、ルカにも平行記事があるように有名な逸話である。その解釈だが、イエスがまさしく革命家であったことを示している逸話だと考えられる。
エルサレムを支配していたのは、ローマ帝国であり、住民は属州税を取られ、さらにローマ帝国に隷属するユダヤ教祭司階級からは神殿税が取られていた。
 「エルサレムは、神のものだ。皇帝のものではない。ましてや皇帝に隷属する祭司階級のものでもない。」ということを「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
という表現で述べているのだ。ゆえに、彼らは驚愕して立ち去ったのである。こんなことを言うヤツは生かしておけない、はやいこと始末せねばならないと考えて立ち去ったのである。