「失われた羊の譬え」と「失われたドラクメ銀貨の譬え」から
ルカ福音書15・1〜10
カトリック年間主日C年 2013.9.15

 「失われた羊の譬え」に似た話はマタイにもある。「失われたドラクメ銀貨の譬え」はルカ独自のものである。
 「失われた羊の譬え」の話はイエス自身の出来事に由来するものだろう。
ファリサイ派の人々や律法学者が、徴税人や罪人がイエスの話を聞こうとして近寄ってきた.ので、「罪人どもを受け入れるのはけしからんことだ、食事までいっしょにするとは許せない」、と文句を言った。
それでイエスは、「羊飼いは失った羊がおれば探しに行く。そして見つければ、友達や近所の人々を呼び集めて喜ぶだろう。」という譬え話をした。
 イエスは、社会的に虐げられた人こそ救われるべき人だと考えられたのだろう。それ故、このような譬え話をされたのだろう。
 ルカは「罪人の悔い改め、罪の赦し」という具合に話をもっていくのが好きで、「悔い改める必要のない99人の正しい人」より「悔い改める1人の罪人」の方が天には喜びがある、という説教を付け加えている。
 ルカは「悔い改める必要のない99人の正しい人」が存在すると考えているのかな。「世の中の全ての人は罪人」だと考えているのかな。
ルカの付け加えた説教はいまいちだ。
 続く「失われたドラクメ銀貨の譬え」になると、無理矢理くっつけた話ではなかろうか。イエスがこんな譬え話をしたとは思えない。
「銀貨を10枚持っていた女が1枚を無くして家の中を探し回って見つけたので、友達や近所の人々を集めて喜ぶだろう。」という譬え話だが、その程度で友人や近所の人を集めて喜ぶかな?
無理がある。
 「一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある」とまとめているが、「罪人が悔い改めた」というまとめにもならずに、なんともかみ合わないものとなっている。
 まあ、こんなかみ合わない譬え話をのせているのもルカ福音書の魅力と言えば魅力かな?