第二コリント書を考える(第2章)

 聖書からの引用は、口語訳からのもの。田川建三訳、尾山令仁訳の二つの訳は好対照で読み比べている。


*第2章は、まだ前書きと言ったところか。

1 そこでわたしは、あなたがたの所に再び悲しみをもって行くことはすまいと、決心したのである。
2 もしあなたがたを悲しませるとすれば、わたしが悲しませているその人以外に、だれがわたしを喜ばせてくれるのか。
3 このような事を書いたのは、わたしが行く時、わたしを喜ばせてくれるはずの人々から、悲しい思いをさせられたくないためである。わたし自身の喜びはあなたがた全体の喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからである。
4 わたしは大きな患難と心の憂いの中から、多くの涙をもってあなたがたに書きおくった。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、あなたがたに対してあふれるばかりにいだいているわたしの愛を、知ってもらうためであった。

*先に送った書簡が、パウロの意図した結果をもたらさなかったことを言っているのだろう。

5 しかし、もしだれかが人を悲しませたとすれば、それはわたしを悲しませたのではなく、控え目に言うが、ある程度、あなたがた一同を悲しませたのである。
6 その人にとっては、多数の者から受けたあの処罰でもう十分なのだから、
7 あなたがたはむしろ彼をゆるし、また慰めてやるべきである。そうしないと、その人はますます深い悲しみに沈むかも知れない。
8 そこでわたしは、彼に対して愛を示すように、あなたがたに勧める。

*これも何を言っているのかよく分からないが、田川注によれば、「コリント教会の中に一人、ほかの教会員たちに対してひどい苦痛を与えた者がいた。しかしそれは私パウロに対して与えたわけではない。いや、私もまあ多少は迷惑を蒙ったが、それはあなた方全員に負担をかけたりしないためである」とある。具体的には何のことかは分からない。

9 わたしが書きおくったのも、あなたがたがすべての事について従順であるかどうかを、ためすためにほかならなかった。
10 もしあなたがたが、何かのことについて人をゆるすなら、わたしもまたゆるそう。そして、もしわたしが何かのことでゆるしたとすれば、それは、あなたがたのためにキリストのみまえでゆるしたのである。
11 そうするのは、サタンに欺かれることのないためである。わたしたちは、彼の策略を知らないわけではない。

*パウロは、この前に手紙を書いた理由は、コリント教会の信者がパウロに従順かどうかをためすためだった。おいおい、教会員を信用していないのだね。パウロが人を許すのは、信者のためにキリストのみまえで、つまりはキリストに成り代わって許すと言うことか。

12 さて、キリストの福音のためにトロアスに行ったとき、わたしのために主の門が開かれたにもかかわらず、
13 兄弟テトスに会えなかったので、わたしは気が気でなく、人々に別れて、マケドニヤに出かけて行った。
14 しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。
15 わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。
16 後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである。いったい、このような任務に、だれが耐え得ようか。
17 しかし、わたしたちは、多くの人のように神の言を売物にせず、真心をこめて、神につかわされた者として神のみまえで、キリストにあって語るのである。

*パウロは、神の言葉を売り物にして稼いでいる多く者とは違って、本当の福音宣教をしているだと言っている。多くの者とは誰なのだ。


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