第一コリント書を考える(第12章)

 聖書からの引用は、口語訳からのもの。田川建三訳、尾山令仁訳の二つの訳は好対照で読み比べている。

*第12章は、パウロのなかなか良い説教が語れる部分である。しかし、パウロのことだ、「神様は一人一人に賜物を与えてくれている、賜物に優劣はない、みんなで協力しようぜ」と言っておいて、31節で大逆転。「信者はよりすぐれた賜物を求めて努力せよ。低い賜物ではダメよ」と言っている。パウロは自己矛盾の固まりですね。


1 兄弟たちよ。霊の賜物については、次のことを知らずにいてもらいたくない。
2 あなたがたがまだ異邦人であった時、誘われるまま、物の言えない偶像のところに引かれて行ったことは、あなたがたの承知しているとおりである。

*異教の神はものが言えない偶像だが、パウロがいう神はものが言える神なのだ。

3 そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。
4 霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。

*いわゆるカリスマといわれるものだ。特別に聖霊によって与えられた能力。尾山訳では「霊的賜物」田川訳では「恵みの賜物」となっている。

5 務は種々あるが、主は同じである。
6 働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。
7 各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。

*カリスマはみんなのために使えというわけだ。

8 すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、
9 またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、
10 またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。
11 すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。

*「異言」だが、宗教的集会などで、熱狂的な恍惚感におちいり、わけの分からないことを言うことだ。神がかり状態になることだ。これもカリスマか?

12 からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。
13 なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。
14 実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。
15 もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。
16 また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。
17 もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。
18 そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。
19 もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。
20 ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。
21 目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。
22 そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、
23 からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、
24 麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。

*教会の仕事などで、つまらない仕事を任されている人たちにこそ、意味がある価値があると神は考えているということだ。

25 それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。
26 もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。
27 あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。

*みんな力を合わせてがんばろう、と言う意味だ。

28 そして、神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語る者をおかれた。
29 みんなが使徒だろうか。みんなが預言者だろうか。みんなが教師だろうか。みんなが力あるわざを行う者だろうか。
30 みんながいやしの賜物を持っているのだろうか。みんなが異言を語るのだろうか。みんなが異言を解くのだろうか。

*ここらあたりから、大逆転が始まるのだ。みんながみんな優れたカリスマを持っているわけはないだろうとパウロは言う。言うとおりだ。それではどうしたら良いのだ。

31 だが、あなたがたは、更に大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい。そこで、わたしは最もすぐれた道をあなたがたに示そう。

*みんながみんな、使徒をめざしてがんばるのかね。


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